蓮
 仏教では蓮(はす)の花をとても大切にいたします。皆さんも、お寺にお詣りに行ったときに、ご本尊様が蓮の花の上にお立ちに、あるいはお座りになっていたり、内陣に蓮の造花が飾られているのを目にしたことがあろうかと思います。では、何で蓮の花なんでしょう?「私はチューリップが好きだから、お寺はチューリップで飾って欲しいわ!」という方もいらっしゃるかも知れません。でも、蓮の花というのにはそれなりに訳があるのです。

 仏教が開かれたインドという国は、とても暑い国ですので水辺に咲く蓮の花はそれを見る人々に大いなる安らぎを与え続けています。また、蓮の花は夜明けとともに咲いて、日没とともに萎むところから、そこに人の一生を準える思想も生まれました。


 私たち真言宗のお坊さんが、非常に大切にしている真言宗の要ともいえるお経に般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)というお経があります。その理趣経の終わりに近い部分に我々が百字の偈(ひゃくじのげ)と呼ぶ部分があり、その中の一節に
    如蓮體本染 不爲垢所染 (じょうれんていほんぜん ふいこうそうせん)”
という文句がございます。これは読み下すと「はちすの花は自ずから清浄にして、汚泥にありてもそれに染まらず」となります。蓮の花はそれ本来清らかなるもので、たとえ泥中に身を置こうとも、咲いた花びらに泥が混じることはありません。まわりが悪くともその汚れに染まることはないという意味です。
 
仏様は遙か宇宙の彼方にいらっしゃるわけではなく、私達と同じこの世の中にいらっしゃるのですが、世の中の悪い部分には決して染まらずに、良いものだけを選び取り、そばにいる人々の心を安らかにす存在であるのです。蓮の花が“仏様の象徴”であるということが、お分かりいただけましたでしょうか。



 私たちは日頃良いことは自分の手柄にし、悪いことは他のせいにしがちです。我々が暮らす世界は、いいものもあれば悪いものもあります。
 しかし、悪いものに染まってしまってはただの人です。御仏の教えに触れる機会に恵まれた我々は、例えまわりが悪くとも決してそれには染まらずに、良いものだけを選びとり、みんなの指標となるような日々を送りたいものです。
 

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