お彼岸
 春分の日と秋分の日をそれぞれ挟んだ前後三日間をお彼岸といいます。
お彼岸は到彼岸の略で字の如く「彼の岸(カノキシ、向こう岸)へ到る」の意味で、煩悩を離れた悟りの境地へ到達することをあらわします。
また彼岸の反対は此岸(シガン、こちら岸)で、迷い多き私たちが住んでいる世界の事を指します。
さて私たちが普段の生活の中で向こう岸、つまり迷い無き境地へ渡るためには「六波羅蜜(ろっぱらみつ)」の修行をすることが近道とされます。
  その「六波羅蜜」とは、

 1、布施【フセ】 (喜んで施しをすること)
 2、持戒【ジカイ】 (きまりを守ること)
 3、忍辱【ニンニク】 (正しい目的の為に耐え忍ぶこと)
 4、精進【ショウジン】 (たゆまず努力すること)
 5、禅定【ゼンジョウ】 (平静な心をもちつづけること)
 6、智慧【チエ】 (真理を見抜く力を磨き、働かせること)

の6つです。

 例えば電車で会社に行く時であれば、席を喜んで譲り(布施)、携帯電話で話などせずに(持戒)、混んでいるけど我慢して(忍辱)、毎日同じ電車に乗り込み(精進)、足を踏まれてもイライラせず(禅定)、まあみんなだって我慢しているんだからと考える(智慧)のです。
 これは、普段の生活ではなかなか実践する事は難しいでしょう。しかし、お彼岸の7日間くらいは1日1つでいいから実践し、真ん中の中日にはご先祖さまへお参りをし、ゆとりを持って過ごされてはいかがでしょうか。

到彼岸の境地
 到彼岸について一冊の本を紹介させていただきます。
レオ・バスカーリアという人が書いた「葉っぱのフレディ」と
いう本です。
 この本はタイトルの通り、フレディという名の一枚の葉っ
ぱが主人公です。フレディは春に木の梢に生まれます。
周りにはたくさんの仲間がおり、中でも親友はダニエルと
いう物知りの葉っぱでした。フレディはダニエルから世界
の仕組みや成り立ちを教わります。

 そして太陽の光を浴びて、雨を受け、風を受け、夏には
   
厚みのあるりっぱな身体に成長しました。やがて秋が来るとフレディたちはみな真っ赤に色づきます。しかし、みな真っ赤といっても葉っぱが枝の先のほうについているのか、元の方についているのか、それぞれ場所や角度によって陽の光や雨のあたり方は少しずつ異なります。ですからフレディ達は少しずつ違った赤に染まっていったのです。
 秋が過ぎ、冬がやってくると仲間達が一枚、また一枚といなくなってゆきます。フレディはダニエルにみなどこへ行ったのかと聞きますが、彼は答えてはくれません。フレディは自分達は死ぬのだと気がつくのです。しかしダニエルは死ぬというのは葉っぱが緑から赤に変わったことのように変化することの一つなのだと話します。たとえ変化してもいのちは永遠なのだと。
ついに最後の一枚となってしまったフレディに一陣の風が吹いてきて、ついにはらはらとフレディは地面に落ちます。そしてやがて土となり、彼は春に生まれる新しい葉っぱの糧となるのでした。

この本の最後の場面を読んで私はこれこそ正しく彼岸に到った境地だと感じました。その場面とはついに地面に落ちたフレディですが、そこで彼は生まれて初めてあるものをみるのです。一体何か?それはフレディが暮らしていた大きな大きな木でした。彼はそこでいのちの根源を知るのです。「僕はこんなにも大きな木で暮らしていたんだ、これが僕が仲間達と暮らしていた木なんだ」と彼は気づいたはずです。
 私たちもきっと悟りの境地に到れば、自分は自分を取り巻く様々な人たちとの繋がりの中で暮らしているのだということがはっきりと自覚でき、感謝の気持ちで生活できることでしょう。
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